1997/09/17 台風19号が、またまた九州から島根上空で暴れているとき、こおおんな、お手紙が届きました。送り主は、「そんし」。「なんか、原稿送ってくださーーーい!!」という私も熱い熱いラヴコールに答えてくれたんです。 『私を変えたビリオネア・ぱあと2 そんしとモモリー』 話は、冒頭からおもいっきりそれてしまいましたが、その有線でビリオネア大学の募集をしていたから、ほんとに軽い気持ちではいってしまいました。最初は、まだ練習場所もなくて幼稚園の遊戯室で「おーしゃんぜりぜー」と軽くステップしたりしてました。そのとき、初めてMomo先生にあったのです。しょうじきいってうわぁ。きれいな人お。と、思ったのです。でも、もともと体育会系のみの人生を歩んで来た僕にとっては、ちょっと近寄りがたい存在でした。でも、ちょっとづつ変わって来ました。普通、音楽の先生はおしとやかで、歌い始めるときも「さんはい」とかいって始まるけど、Momo先生は「せぇのぉ」ではじまるんですもん。けっこう「がらっぱち」なんすよ。お酒も僕の一億倍は強い。Momo先生の加茂の家で一緒お酒を飲んだときのことです。「今度、こっちにくるまもってくるんですよお。東京で買ってこっちまでもってこようとおもうの」と先生。ウーロン茶で酔っぱらってすっかり気が大きくなっていた僕は、「僕が仕事で東京いきますから持って帰ってあげますよ」これがあの、加茂町で有名な「空色のモモリー号」との出会いのきっかけです。 納車日に、四谷駅近くで待ち合わせ。 そこで「モモリー号」と初体面。コンピューターなどを積むために若葉のマンションヘ先生の運転でびゅん。カーブも四つ角もびゅん。思わず握り拳にうっすらと汗がにじみました。出雲弁でいう「おぞぉぉぉぉぉ」そしてなんとか(失礼)無事につきました。そこには先生そっくりなねこちゃんが。決して酒を飲んだり、がらっぱちだったりするわけではないけど、先生に何となくそっくりなのです。目がでかくてほっぺたこやきなのです。雰囲気がモモリーなのです。しばし猫とたわむれて、一緒にいった仲間とケーキをごちそうになり、若葉を出発。午後6時頃。いきなり大渋滞。こんなの加茂では絶対に体験できないぜと最初は結構もりあがっていたのですが、他の仲間はすでに酒を飲んでいて、睡魔と格闘中。やがて睡魔に惨敗。結局加茂町まで、12時間、一人で運転しました。そして、無事に加茂についたモモリー号は先生が東京にいるときは、我が家の駐車場に。空色のモモリー号は冬でも雪でももちろん晴れでも、元気よく走っています。先日僕の車が壊れ、煙をあげ、燃えそうになりました。モモリー号をつかわせてもらってありがとうございました。先生は300万円で買わない?といわれ、僕は300円?とお約束のぼけをいっぱつ。 そんし!どうもありがとう!!そうだったんだあ。。そんなことおもってるの? そうかあ、がらっぱちだあ。。 てやんでぃーーーー。。。しらざあいってきかせやしよお!! こりゃ、歌舞伎の影響だあい!! |